ガロンガロン。
入口のベルが控え目になる。牧歌的と言える音は、店に客が来た事を知らせた。
振り返らなくても、誰が来たかなんてわかりきっている。こんな夜遅く、営業時間も過ぎたような頃に来る客なんて彼しかいない。
「小松くん」
それでも振り返り、手を挙げて彼を呼ぶーー、今まさに入り口をくぐろうといている、小松くんを。小松くんもすぐボクに気付いて、慣れた様子で隣の椅子に腰を下ろした。
そりゃ慣れもするだろう。ボクたちがここで待ち合わせするようになって、随分経つ。
ここはホテルグルメに入っているバーだ。レストラングルメよりも数階下の階にあるこのバーは、仕事終わりの小松くんとの待ち合わせによく利用している。同じホテルに入っている店の好か、小松くんの仕事が終わるような深夜まで待たせてもらえるのがありがたかった。
「マスター、いつもの」すっかり顔なじみになっている店主にそう言って小松くんが頼んだのはジンジャーエールだ。仕事終わりの渇いた喉に炭酸の刺激としょうがの爽やかさがちょうどいいらしい。マスターも既に承知していたように薄金色の液体が入ったグラスを差し出す。受け取った小松くんはそのままグラスを煽り、半分ほど飲んだ後で「っ、ぷはぁっ」と息をついた。
…うん、マスターも慣れてるから何も言わないけど、まるっきり居酒屋の反応だね、小松くん。
「今日はお呼び立てしてすいませんでした」
ジンジャーエールをひとしきり飲み、落ち着いたところで小松くんが話を切り出す。
「週末なのに、すみません」
ボクが待っている間手慰みに食べていた野菜スティックのセロリをしょりしょり齧りながら小松くんが言った。小松くんはマヨネーズをたっぷりつける派で、口の端に少しはみ出したそれが付いてしまっている。(トリコだったら品が無い、と思うだけだけれど、小松くん相手だとかわいく見えるから不思議だ)
確かに、ついさっきまでは金曜日(小松くんを待っている間に日付が変わってしまった)、一般的には土日休みの前日だけど、ボクたち客商売にとってはその休みこそが稼ぎ時。当然ボクも小松くんも週末は仕事だ。翌日仕事のある時に、不本意ながら結構な距離を離れて暮らしているボクを小松くんが呼びだすのは珍しい。
その理由はもう、分かりすぎるほどわかっているんだけど。
「ボクがココさんの家に行ってもよかったんですが、その、ボクが仕事終わってからだと電車がなくて…」
歯切れ悪く、視線を泳がせながら小松くんがそんな言い訳じみた事を言う。紅潮している頬を見て、思わず唇が綻ぶ。
「いいんだよ、小松くん」
ちょうどボクの胸くらいの高さにある小松くんの頭をそっと引き寄せる。途端、ジャケット越しでも感じる体温に、彼の髪の毛から匂う厨房の油の匂いと汗の匂いに。愛しい気持ちが込み上げる。
「ボクの誕生日を…、祝ってくれるんでしょ?」
そう言った途端に、小松くんは先ほどよりさらに顔を真っ赤にして固まりついてしまった。額に溜まる汗も尋常な量じゃない。
先に言ってしまうのはちょっと意地悪だったかなぁ、と思いつつも、ごめんね小松くん、君が言ってくれるのを待ち切れなかったんだ。
言葉は疑問形になったけれど、これっぽっちも疑ってなんていない。今日10月29日土曜日、小松くんは一緒にボクの誕生日のお祝いをしようと、ボクを呼びだしたんだ。
「嬉しいよ…ありがとう、小松くん」
固まりついて二の句が告げない小松くんに構わず感謝の気持ちを述べる。
誕生日なんて、今まで特に意味のある日じゃなかった。ただ単に、ボクが生まれた日の記号。ボクの人生が始まった日ではあるけれど、その人生に、大した意味を見出す事も出来なかった。
だけど、君と出会ってからは。
小松くんと出会って、ボクの人生に意味ができた。小松くんに出会うためにボクは生まれてきたのなら、確かに誕生日はその第一歩を踏み出した記念日だ。
そしてそれを小松くんが一緒に祝ってくれるのなら。
「…、…ーキ」
「ん?」
未だに赤い顔をした小松くんが小声で何かを呟いた。聞き取れなくて、聞き返す。
「ケーキを、焼いたんです。ろうそくもいっぱい買いました。プレゼントもちゃんと用意してあるんです。ごちそうは夜遅くなるってわかってたから作らなかったけど、今度の休みに作らせて下さい。あと…」
そこまで言って、今まで俯いていた小松くんが顔を上げる。
「お誕生日、おめでとうございますココさん」
「…ありがとう、」
屈託のない笑顔でそういう小松くんに堪らなくなって、ボクはさっきから気になっていた小松くんの口の端に付いたマヨネーズを指で拭った。
そこにキスするのは、小松くんの家に着いてからのお楽しみ。
お題:ついった恋愛お題ったーより 「夕方のバー」「寄り添う」「マヨネーズ」10/29ココさんで頂きました!
[5回]
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